なべちゃんの散歩道2
スキー(綾部銀嶺会)記録・フィットネス(メタボ改善)日記
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冊子「シデの思い出」に出てくる木下先生、 冊子入手記
シルバースキークラブ銀嶺会のスキー仲間、舞鶴市在住のふじもと様からこの冊子の紹介をいただいた。
シデの思い出作文集「シデ山の思い・・・小川真次氏」のなかに出てくる「小学校の頃には、木下先生と十人位でシデの山へ遊びに行き、スキーをしながら舞鶴の海が見えた事とか・・・9p」に関連して、綾部市スキー協会会長(銀嶺会会長)の木下實先生のことだろうかとの質問だった。次の冊子や記事のいくつかの写真をつけてメールで連絡いただいた。

シデの思い出 坂尾呂の里・鳥垣渓谷からシデの山へ
冊子紹介は下記をクリック
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1109.html
以前、四都市体育大会冬季大会の綾部市主管の時に、大江山スキー場で大会会長の四方八洲男綾部市長を交え大いに盛り上がり、市長も子供時代に裏山で滑ったスキーをやりたい、綾部市にスキー場を作ろう・・の話があった。この上林での経験が基では・・と、ふじもと様に伝え、上林には元スキー協会会長で写真家の故吉野雄策先生や、銀嶺会元会員の岩上保先生などがおられるので、多分そうではないか。今度中神宮寺納涼祭で出会えるので直接聞いて見ますとの返事を出した。
しかし先生はご多用なのか中神納涼祭にも見えず、おなじ町区内であるのに出会えずに終わった。
先の9月11日に「祝・木下實氏(財)京都府体育協会功労賞受賞祝賀会」が催され出席して、木下先生に直接お尋ねして、先生の若いときのエピソードだということ、上林にスキー場をつくる話もその時の経験が基だとのことであった。
祝賀会で荻野昭スキー協会副会長(銀嶺会会計)からも木下實先生の経歴の中に、奥上林小学校に赴任してスキーに熱中・・・とあり。上林との関係が深いように感じた。現在81歳の木下實先生のスキー歴の長さと、なお90歳まで現役で元気に滑ると言われる固い決意に、改めて深い敬意を表する次第である。
この「シデの思い出」の作文集の中には、いくつかのスキーについての話題が記されている。
スキーの話:いつ頃か定かではありませんが、リフトを市場からシデまで付けるとか、スキーヤーが見に来たとか、新聞報道があったとか、シデにスキー場ができる話がありました。手製のスキーをもってシデに登り、誰かと、おおだんで滑った思い出があります。 野々尾光夫氏 20P
冬になると、坂尾呂神社の参道などで、手作りのソリやスキーでよく遊んでいましたが、ある時、当時の小学校長がシデに行ってスキーをしたと聞いて、竹スキーをかついでシデへ登りました。何月頃、誰と、どのような格好をして、どの道を通って登ったのか、記憶は定かではありませんが・・・スキーを楽しむまでに、スキーだけが谷の方へ流れ落ち、苦労して拾いに行ったことだけはよく覚えています。 熊が出るかも知れない奥山へ、危険な雪山へ、子供だけで行く・・・今ではとても考えられない行動だったと思いますが、大自然の中での楽しかった思い出です。 桜井克彦氏 31p
このように、時間と労力をかけて収穫されるかやが、時間の流れに押され斜陽化しつつある時に、スキー場に転換しては、との説も出されました。 鳥垣公民館 40p
結論から言うと地球温暖化の影響でここ数年暖冬が続き、スキー場の積雪不足が深刻で、関西のスキー場、大江山スキー場もシーズンを通して開催できずにいることがしばしばである。またスキー人口の減少で数多く建設されたスキー場も大規模スキー場に統合淘汰され、閉鎖されたスキー場が沢山存在する時代になり、積雪、立地など相当な条件が整わないと存続出来ない現状がある。(編集者)
冊子「シデの思い出」捜し歩き記
9月17日(土)、今日は雨天で外での仕事や運動はものにならないと見切りをつけ、午前中に家内の仕事をすませ、あやべ市社協の会費を払いに行き、上林温泉に向いました。
ふじもと様が友人から紹介された山野草のある喫茶店かで本を入手されたという記憶だけで、アテヅッポに家を出て、「上林七里野」執筆の四方英生先生のおられる「上林観光センター」に寄ると土曜日で無人。温泉交差点手前の「いこいの広場・里の駅」で尋ねると知らない。
「二王公園パターゴルフ場食堂」で尋ねると、本は知ってるが上の「二王閣」で聞いてくれ。「綾部温泉二王閣のフロント」では売店に「上林七里野」の本が沢山積まれていたがこの冊子はなく、鳥垣の食べ物屋さんと云うと「柏屋(かしわや)」だと言われ、マップを貰いました。

かんばやしイラストマップ 以前にももらったことがある
地図左下の坂尾呂神社から河を挟み道端に、数字(15)があり、右上2番目に「柏屋(かしわや)」の広告がある。食べ物屋さんとは、喫茶店~食堂などの先入観のもとに探しました。
綾部温泉に入浴後、台風2つが太平洋上で渋滞気味の激しい雨の中を坂尾呂神社の石段、大鳥居・・を左に見てかなり奥まで入りましたが、見当たらず。また府道に出て、その下流の橋を奥まで詰め、また次の大町交差点手前の橋も渡り奥まで探しても駄目でした。
結局、もとの坂尾呂神社の見える橋を再度渡り、もう一度奥へ行くと、昔「カヤの里・山びこ荘」だったと思われる所に出ました。テニス協会やクラブで忘年会、夏季合宿をした所ですが、すっかり様子が変わって見えました。
「かやの里・山びこ荘」:養魚池でヤマメなど飼われ、和室の部屋も沢山あり、自家製の「どぶろぐ」を気前良くサービスで出してくれていた、さんしょう、やまごぼうなどの佃煮をお土産に、その場で出席人数分準備してもらったこともありました。積雪凍結した深夜の帰りを綾部市役所まで送迎してくれた懐かしい旅館でしたが・・・
2004年の台風23号(舞鶴で観光バス水没、天井で一夜の奇跡で有名)の時に被害に遭われたのか?現在は「あやべ吉水」と云う名前で営業されている様子だが、広場に入って行った時に看板など見なかった気がします。
帰ってからこの冊子を見て、「カヤの里・山びこ荘」が「あやべ吉水」になったのを知りました。インターネットで名前は知っていましたが、冊子を見てからの話で、この「おくかんばやしイラストマップ」には名前も広告も出ていません。
入ると人が出てこられ、「柏屋」の所在を聞くと、この下の右だと云われ引き返し下流へ走ると石橋の向こうの家の下に「かしわや」の看板が横に置かれているので、尋ね歩くと集会中の様でしたが人が出てこられ、もっと下の右手にあるとのこと。
さらに下流にくだり、熊内と表札のある立派な大邸宅の前を過ぎ人が居られたので、雨の中を降りて聞くと、その熊内家の隣でした。注文済みの玉子が1パックあっただけの小さな店? 鶏肉店だから「かしわや」なのだ!
店におられた奥様に聞くと、向かいの家に取に行かれ一冊貰いました。代金をと言うと、預かっているだけで不要だと言うことです。代わりに何か買おうにも何もないお店?でした。
帰ってから貰った冊子を見ると、濡れていて乾いたのか本の下が変色し裏表紙の下はボロボロになっていました。
10冊ほど持って来られましたから、状況の悪いのを貰ったのかも。雨の中を走り回って手に入れました。
ふじもと様は、「喫茶・じょんのび 睦合町古川」にキヌガサタケを見せて貰いに行かれ冊子を貰われたとのことです。
シデの思い出作文集「シデ山の思い・・・小川真次氏」のなかに出てくる「小学校の頃には、木下先生と十人位でシデの山へ遊びに行き、スキーをしながら舞鶴の海が見えた事とか・・・9p」に関連して、綾部市スキー協会会長(銀嶺会会長)の木下實先生のことだろうかとの質問だった。次の冊子や記事のいくつかの写真をつけてメールで連絡いただいた。

シデの思い出 坂尾呂の里・鳥垣渓谷からシデの山へ
冊子紹介は下記をクリック
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/1109.html
以前、四都市体育大会冬季大会の綾部市主管の時に、大江山スキー場で大会会長の四方八洲男綾部市長を交え大いに盛り上がり、市長も子供時代に裏山で滑ったスキーをやりたい、綾部市にスキー場を作ろう・・の話があった。この上林での経験が基では・・と、ふじもと様に伝え、上林には元スキー協会会長で写真家の故吉野雄策先生や、銀嶺会元会員の岩上保先生などがおられるので、多分そうではないか。今度中神宮寺納涼祭で出会えるので直接聞いて見ますとの返事を出した。
しかし先生はご多用なのか中神納涼祭にも見えず、おなじ町区内であるのに出会えずに終わった。
先の9月11日に「祝・木下實氏(財)京都府体育協会功労賞受賞祝賀会」が催され出席して、木下先生に直接お尋ねして、先生の若いときのエピソードだということ、上林にスキー場をつくる話もその時の経験が基だとのことであった。
祝賀会で荻野昭スキー協会副会長(銀嶺会会計)からも木下實先生の経歴の中に、奥上林小学校に赴任してスキーに熱中・・・とあり。上林との関係が深いように感じた。現在81歳の木下實先生のスキー歴の長さと、なお90歳まで現役で元気に滑ると言われる固い決意に、改めて深い敬意を表する次第である。
この「シデの思い出」の作文集の中には、いくつかのスキーについての話題が記されている。
スキーの話:いつ頃か定かではありませんが、リフトを市場からシデまで付けるとか、スキーヤーが見に来たとか、新聞報道があったとか、シデにスキー場ができる話がありました。手製のスキーをもってシデに登り、誰かと、おおだんで滑った思い出があります。 野々尾光夫氏 20P
冬になると、坂尾呂神社の参道などで、手作りのソリやスキーでよく遊んでいましたが、ある時、当時の小学校長がシデに行ってスキーをしたと聞いて、竹スキーをかついでシデへ登りました。何月頃、誰と、どのような格好をして、どの道を通って登ったのか、記憶は定かではありませんが・・・スキーを楽しむまでに、スキーだけが谷の方へ流れ落ち、苦労して拾いに行ったことだけはよく覚えています。 熊が出るかも知れない奥山へ、危険な雪山へ、子供だけで行く・・・今ではとても考えられない行動だったと思いますが、大自然の中での楽しかった思い出です。 桜井克彦氏 31p
このように、時間と労力をかけて収穫されるかやが、時間の流れに押され斜陽化しつつある時に、スキー場に転換しては、との説も出されました。 鳥垣公民館 40p
結論から言うと地球温暖化の影響でここ数年暖冬が続き、スキー場の積雪不足が深刻で、関西のスキー場、大江山スキー場もシーズンを通して開催できずにいることがしばしばである。またスキー人口の減少で数多く建設されたスキー場も大規模スキー場に統合淘汰され、閉鎖されたスキー場が沢山存在する時代になり、積雪、立地など相当な条件が整わないと存続出来ない現状がある。(編集者)
冊子「シデの思い出」捜し歩き記
9月17日(土)、今日は雨天で外での仕事や運動はものにならないと見切りをつけ、午前中に家内の仕事をすませ、あやべ市社協の会費を払いに行き、上林温泉に向いました。
ふじもと様が友人から紹介された山野草のある喫茶店かで本を入手されたという記憶だけで、アテヅッポに家を出て、「上林七里野」執筆の四方英生先生のおられる「上林観光センター」に寄ると土曜日で無人。温泉交差点手前の「いこいの広場・里の駅」で尋ねると知らない。
「二王公園パターゴルフ場食堂」で尋ねると、本は知ってるが上の「二王閣」で聞いてくれ。「綾部温泉二王閣のフロント」では売店に「上林七里野」の本が沢山積まれていたがこの冊子はなく、鳥垣の食べ物屋さんと云うと「柏屋(かしわや)」だと言われ、マップを貰いました。

かんばやしイラストマップ 以前にももらったことがある
地図左下の坂尾呂神社から河を挟み道端に、数字(15)があり、右上2番目に「柏屋(かしわや)」の広告がある。食べ物屋さんとは、喫茶店~食堂などの先入観のもとに探しました。
綾部温泉に入浴後、台風2つが太平洋上で渋滞気味の激しい雨の中を坂尾呂神社の石段、大鳥居・・を左に見てかなり奥まで入りましたが、見当たらず。また府道に出て、その下流の橋を奥まで詰め、また次の大町交差点手前の橋も渡り奥まで探しても駄目でした。
結局、もとの坂尾呂神社の見える橋を再度渡り、もう一度奥へ行くと、昔「カヤの里・山びこ荘」だったと思われる所に出ました。テニス協会やクラブで忘年会、夏季合宿をした所ですが、すっかり様子が変わって見えました。
「かやの里・山びこ荘」:養魚池でヤマメなど飼われ、和室の部屋も沢山あり、自家製の「どぶろぐ」を気前良くサービスで出してくれていた、さんしょう、やまごぼうなどの佃煮をお土産に、その場で出席人数分準備してもらったこともありました。積雪凍結した深夜の帰りを綾部市役所まで送迎してくれた懐かしい旅館でしたが・・・
2004年の台風23号(舞鶴で観光バス水没、天井で一夜の奇跡で有名)の時に被害に遭われたのか?現在は「あやべ吉水」と云う名前で営業されている様子だが、広場に入って行った時に看板など見なかった気がします。
帰ってからこの冊子を見て、「カヤの里・山びこ荘」が「あやべ吉水」になったのを知りました。インターネットで名前は知っていましたが、冊子を見てからの話で、この「おくかんばやしイラストマップ」には名前も広告も出ていません。
入ると人が出てこられ、「柏屋」の所在を聞くと、この下の右だと云われ引き返し下流へ走ると石橋の向こうの家の下に「かしわや」の看板が横に置かれているので、尋ね歩くと集会中の様でしたが人が出てこられ、もっと下の右手にあるとのこと。
さらに下流にくだり、熊内と表札のある立派な大邸宅の前を過ぎ人が居られたので、雨の中を降りて聞くと、その熊内家の隣でした。注文済みの玉子が1パックあっただけの小さな店? 鶏肉店だから「かしわや」なのだ!
店におられた奥様に聞くと、向かいの家に取に行かれ一冊貰いました。代金をと言うと、預かっているだけで不要だと言うことです。代わりに何か買おうにも何もないお店?でした。
帰ってから貰った冊子を見ると、濡れていて乾いたのか本の下が変色し裏表紙の下はボロボロになっていました。
10冊ほど持って来られましたから、状況の悪いのを貰ったのかも。雨の中を走り回って手に入れました。
ふじもと様は、「喫茶・じょんのび 睦合町古川」にキヌガサタケを見せて貰いに行かれ冊子を貰われたとのことです。

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祝 木下 實 氏(財)京都府体育協会功労賞受賞祝賀会に参加
9月11日(日)11時に京・綾部ホテルで木下 實氏が、(財)京都府体育協会功労賞を受賞された祝賀会が行われ40名の参加があった。木下 實氏(81)は昭和60年から綾部市スキー協会の第7代会長をつとめ、四都市体育大会冬季大会への出場選手強化、ジュニア・スキーの育成に力を注ぎ、綾部のスキー競技の発展に努められている。また11年目を迎える「シルバースキー・クラブ銀嶺会」の会長をつとめ、綾部、福知山、舞鶴、京都市などからなる当会メンバーと毎年の交流活動を活発に行なわれている

銀嶺会会員の一宇川(湊)敏氏(安来節保存会本部道場会員・安来節踊りの部師範)が、中丹文化会館で開いている教室のお弟子さん3人とお祝いの紅白の「安来節銭太鼓」を使ったお祝いの演技を2曲披露

発起人代表、綾部スキー協会副会長(銀嶺会会計)荻野 昭氏より、歓迎挨拶と木下實 氏の経歴披露
教師として上林に赴任、以後今日に至る長いスキーへの情熱とスキー競技、スキー協会、銀嶺会など組織運営への貢献など・・

(財)綾部市体育協会会長:由良大司氏より祝辞

福知山市スキー協会副会長:下元照男氏より祝辞と今年の四都市スキー大会当番(綾部市)運営へのお礼の言葉
(出場選手の完走者全員点数制の初試行を成功させてもらえた)

綾部スキー協会田子作スキークラブ会員:玉井ひとみさんより、木下 實氏へ花束贈呈

受賞された綾部市スキー協会会長(銀嶺会会長)木下 實氏の謝辞
綾部市スキー協会歴代会長の故吉野雄策、故今枝俊次氏の教えである「仲間を愛し信じ合い、つながりが有ってこそ会が成立する」という言葉が私の原点・・

乾杯の発声 ゲンゼ・スキークラブ会長:塩見良治氏

Cテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

E、Fテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

Dテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

綾部市スキー協会副会長(銀嶺会会員)山下信幸氏より、寄せ書きの色紙送呈

祝賀会出席者全員の寄せ書き 銀嶺会のメンバー19名の名前が見える、名簿順:木下、上原(幸)、中山、金田、今枝、竹内、大槻(奨)、鍋師、大槻(治)、荻野、藤井、永井、四方(昌)、上原(正)、湊、谷田、山下、久木、四方(健)

綾部市スキー協会副会長(銀嶺会会員)久木康弘氏より閉会挨拶

綾部市スキー協会顧問(銀嶺会副会長)上原幸一氏より「シー・ハイル」三唱

銀嶺会会員の一宇川(湊)敏氏(安来節保存会本部道場会員・安来節踊りの部師範)が、中丹文化会館で開いている教室のお弟子さん3人とお祝いの紅白の「安来節銭太鼓」を使ったお祝いの演技を2曲披露

発起人代表、綾部スキー協会副会長(銀嶺会会計)荻野 昭氏より、歓迎挨拶と木下實 氏の経歴披露
教師として上林に赴任、以後今日に至る長いスキーへの情熱とスキー競技、スキー協会、銀嶺会など組織運営への貢献など・・

(財)綾部市体育協会会長:由良大司氏より祝辞

福知山市スキー協会副会長:下元照男氏より祝辞と今年の四都市スキー大会当番(綾部市)運営へのお礼の言葉
(出場選手の完走者全員点数制の初試行を成功させてもらえた)

綾部スキー協会田子作スキークラブ会員:玉井ひとみさんより、木下 實氏へ花束贈呈

受賞された綾部市スキー協会会長(銀嶺会会長)木下 實氏の謝辞
綾部市スキー協会歴代会長の故吉野雄策、故今枝俊次氏の教えである「仲間を愛し信じ合い、つながりが有ってこそ会が成立する」という言葉が私の原点・・

乾杯の発声 ゲンゼ・スキークラブ会長:塩見良治氏

Cテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

E、Fテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

Dテーブル周辺の懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

懇親会風景(銀嶺会メンバーを主体に撮影)

綾部市スキー協会副会長(銀嶺会会員)山下信幸氏より、寄せ書きの色紙送呈

祝賀会出席者全員の寄せ書き 銀嶺会のメンバー19名の名前が見える、名簿順:木下、上原(幸)、中山、金田、今枝、竹内、大槻(奨)、鍋師、大槻(治)、荻野、藤井、永井、四方(昌)、上原(正)、湊、谷田、山下、久木、四方(健)

綾部市スキー協会副会長(銀嶺会会員)久木康弘氏より閉会挨拶

綾部市スキー協会顧問(銀嶺会副会長)上原幸一氏より「シー・ハイル」三唱

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