なべちゃんの散歩道2
スキー(綾部銀嶺会)記録・フィットネス(メタボ改善)日記
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3度死にそうになったスキ-・ツアの話(白馬八方尾根スキー場)
昭和34年に福井大学を卒業、富山の不二越に就職してスキーを覚え、不二越研究所の先輩たちと毎冬スキーに通いましたが、今度銀嶺会で行く予定の「白馬八方尾根スキー場」には格別の思い出があります。
これは、綾部ロータリークラブの1999年3月19日例会の会長スピーチで話した記録です。なべちゃんのHP試作箱:「恐いから、判らないから、難しいから、面白い」 http://www.nbcayabe.com/kowai/kowai.htm に収録しています。
ロータリー・クラブ例会の会長スピーチの所定時間、クラブ週報に掲載の文字数の制限があり、元の文章は短く要約していますが、ブログでは文字数制限はありませんので、下記ブログでは、もう少し詳しく補充しました。
<3度死にそうになったスキ-・ツア>
「恐いから面白い」がモット-の私ですが、3度死にそうになったスキ-・ツアの話です。5時に会社の仕事を終え、スキ-用具を抱えて、リュックを背に会社の先輩方と富山駅に駆けつけました。列車は超満員でデッキの入り口で支えてしまい、スキ-(当時の私の給料をはたいて買った3台目になる真黒のインスブルック、ヒッコリー製)を抱えて、もたもたしているうちに列車が動き出しました。がたんと揺れたとたん、はじき出され、気が付いたときは、プラットホ-ムを外れたばかりの地面にリュックを背にスキーを抱え仰向きに落ちていました。列車は急ブレ-キをかけて止まり、慌てて乗り込みました。デッキがやけに高かったのを覚えていますが、今度は中に入れてくれました。(昔の車両のデッキは吹き抜けで扉なし、もしプラットフォームの上で、或いは転轍機、信号機にぶつかったり、列車のスピードが上がり、もっと先の橋梁の上などで落ちていれば命に係わる大怪我だったとぞっとします。デッキによじ登りながら見送りの駅長がプラットフォームの端まで走ってくるのを見ました)
その日は、白馬山麓の細野部落の民宿に泊まり、翌朝早く、白馬八方尾根・兎平ゲレンデに直行のゴンドラ・リフトに並びました。快晴でした。
うさぎだいらで、気持ちよく滑っていると、突然強風が吹き出しました。山おろしの突風でした。仲間ともはぐれ、立っているのがやっとの状況で、積雪をどんどん巻き上げる、大変な地吹雪・ブリザ-ドでした。雪の粒が飛んできて顔に当たり、痛いのと、寒いのとで、顔が凍り付きました。上へ歩こうにも、休み休み、風の具合を見ては、2歩前進して1歩後退する状況で、やっとモ-タのあるロ-プ・リフト小屋にたどり着きました。一坪ほどの小屋は超満員で、何とか風をしのげました。小屋から見ると、顔につららをつけた人が何人も倒れていました。
そのうちに誰かロ-プを輪にして、中に人を収容しながら、集団の力で上がってくるグル-プが活躍し始め、皆が救われたようでした。
風が止み少し滑りましたが、下りることになり、リ-ゼン・スラロ-ムという、国体滑降コ-ス(本年のオリンピック・コ-スにもなった)を滑り始めました。この冬は積雪量が少なく、例年よりも幅の狭い大変な難コ-スでした。
途中転倒してしまい、アングリ-メンというスキ-バッケンが外れ、スキ-を外すこともできず、ウェアもビニ-ル系の滑る素材のもので、カチカチの氷雪の急斜面を止める術がなく(頭が斜面の下方を向き足が上方の腹這い、ストックの雪輪の上を持ち力一杯、カチカチの氷雪に突き刺しても入らない)、ずるずると逆さまの状態で急斜面を落ちる一方でした。巻き込まれるのを恐れて、誰も眺めるだけで止めてくれず、日も暮れ、暗くなってきた中であせりました。結局手袋を脱いで素手を氷雪に当て、やっと止まることが出来ました。ずいぶん長い時間を斜面を止まっては、ずるずると落ちていたと思います。やっと民宿に帰り着いた時は、日が落ち真っ暗でした。
この日、白馬稜線直下の第3ケルンでは、6名の犠牲者が出たと新聞報道にありました。
追記:スキーで骨折したり、恐い目にあったりしても尚一層スキーに精進されている人が多数あります。ただ寒い思いをしたというだけで、スキーにすっかり懲りたという人もあります。スキー歴の多少に係わらずこれらの対処の違いはどうしてなのか不思議なものですね。
これは、綾部ロータリークラブの1999年3月19日例会の会長スピーチで話した記録です。なべちゃんのHP試作箱:「恐いから、判らないから、難しいから、面白い」 http://www.nbcayabe.com/kowai/kowai.htm に収録しています。
ロータリー・クラブ例会の会長スピーチの所定時間、クラブ週報に掲載の文字数の制限があり、元の文章は短く要約していますが、ブログでは文字数制限はありませんので、下記ブログでは、もう少し詳しく補充しました。
<3度死にそうになったスキ-・ツア>
「恐いから面白い」がモット-の私ですが、3度死にそうになったスキ-・ツアの話です。5時に会社の仕事を終え、スキ-用具を抱えて、リュックを背に会社の先輩方と富山駅に駆けつけました。列車は超満員でデッキの入り口で支えてしまい、スキ-(当時の私の給料をはたいて買った3台目になる真黒のインスブルック、ヒッコリー製)を抱えて、もたもたしているうちに列車が動き出しました。がたんと揺れたとたん、はじき出され、気が付いたときは、プラットホ-ムを外れたばかりの地面にリュックを背にスキーを抱え仰向きに落ちていました。列車は急ブレ-キをかけて止まり、慌てて乗り込みました。デッキがやけに高かったのを覚えていますが、今度は中に入れてくれました。(昔の車両のデッキは吹き抜けで扉なし、もしプラットフォームの上で、或いは転轍機、信号機にぶつかったり、列車のスピードが上がり、もっと先の橋梁の上などで落ちていれば命に係わる大怪我だったとぞっとします。デッキによじ登りながら見送りの駅長がプラットフォームの端まで走ってくるのを見ました)
その日は、白馬山麓の細野部落の民宿に泊まり、翌朝早く、白馬八方尾根・兎平ゲレンデに直行のゴンドラ・リフトに並びました。快晴でした。
うさぎだいらで、気持ちよく滑っていると、突然強風が吹き出しました。山おろしの突風でした。仲間ともはぐれ、立っているのがやっとの状況で、積雪をどんどん巻き上げる、大変な地吹雪・ブリザ-ドでした。雪の粒が飛んできて顔に当たり、痛いのと、寒いのとで、顔が凍り付きました。上へ歩こうにも、休み休み、風の具合を見ては、2歩前進して1歩後退する状況で、やっとモ-タのあるロ-プ・リフト小屋にたどり着きました。一坪ほどの小屋は超満員で、何とか風をしのげました。小屋から見ると、顔につららをつけた人が何人も倒れていました。
そのうちに誰かロ-プを輪にして、中に人を収容しながら、集団の力で上がってくるグル-プが活躍し始め、皆が救われたようでした。
風が止み少し滑りましたが、下りることになり、リ-ゼン・スラロ-ムという、国体滑降コ-ス(本年のオリンピック・コ-スにもなった)を滑り始めました。この冬は積雪量が少なく、例年よりも幅の狭い大変な難コ-スでした。
途中転倒してしまい、アングリ-メンというスキ-バッケンが外れ、スキ-を外すこともできず、ウェアもビニ-ル系の滑る素材のもので、カチカチの氷雪の急斜面を止める術がなく(頭が斜面の下方を向き足が上方の腹這い、ストックの雪輪の上を持ち力一杯、カチカチの氷雪に突き刺しても入らない)、ずるずると逆さまの状態で急斜面を落ちる一方でした。巻き込まれるのを恐れて、誰も眺めるだけで止めてくれず、日も暮れ、暗くなってきた中であせりました。結局手袋を脱いで素手を氷雪に当て、やっと止まることが出来ました。ずいぶん長い時間を斜面を止まっては、ずるずると落ちていたと思います。やっと民宿に帰り着いた時は、日が落ち真っ暗でした。
この日、白馬稜線直下の第3ケルンでは、6名の犠牲者が出たと新聞報道にありました。
追記:スキーで骨折したり、恐い目にあったりしても尚一層スキーに精進されている人が多数あります。ただ寒い思いをしたというだけで、スキーにすっかり懲りたという人もあります。スキー歴の多少に係わらずこれらの対処の違いはどうしてなのか不思議なものですね。

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