なべちゃんの散歩道2
スキー(綾部銀嶺会)記録・フィットネス(メタボ改善)日記
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銀嶺会 日帰り今庄365スキー場行2(木の芽城塞群)
コブ斜面の上級コースは敬遠してその他のコースを滑り写真を撮る。スキーセンターへ休憩に降りると、休憩済みの皆が滑りに出られるところだった。残る3名とゲレンデに出ると皆が降りてきたので全員でクワッドリフト(1270m)で頂上駅へ登る。竹内さんの案内で鉢伏山(760m)山頂展望台へ歩いて登った。
木の芽城塞群 越前一向一揆 木の芽崩れ の資料はこちらをご覧ください http://homepage2.nifty.com/tsuruga/kinomejyousai1.html
木の芽山地は福井の嶺北、嶺南を分ける嶺であり、源平・南北朝・戦国期の争乱、一向一揆など、各年次にわたる合戦の要害として重要視されてきた。山頂尾根筋には木ノ芽峠城(標高620メートル)・西光寺丸城(標高643メートル)・鉢伏山城(標高762メートル)の三城が所在する。
確認される遺構は戦国期のものである。城の遺構はそれぞれ独自の縄張りをみせており、元亀元年の信長越前侵攻にさいして朝倉氏は鉢伏山城に印牧弥六郎左衛門を入れ、本格的な城砦を造ったと考えられるが(「朝倉始末記」)、
天正元年の織田軍、同三年の一揆勢による防備など入り乱れての攻防のなかに城郭が整備されており、一揆軍篭城のとき、西光寺丸城は本覚寺・西光寺衆徒、木ノ芽峠城は本陣として下間筑後軍、鉢伏山城には専修寺の一統が守備したとある(勝授寺文書)。
木ノ芽峠城砦群は朝倉氏・織田氏・一向一揆勢の三勢力によって築城・調整されてきた城郭で、複雑な様相をみせるが、戦国末期の攻防にともなう峠の陣城として他に例のない貴重な城砦群である。『福井県史通史編』より

頂上リフト(1270m)で全員が上がり、スキーを外しストックを持ち、竹内さんの案内で鉢伏山(760m)山頂展望台へ歩く。入るとすぐに雪に埋もれて案内板が立っていた。
鉢伏城址 木の芽峠から北西約700m、木の芽城塞群の中で最大
元亀元年(1570)朝倉方で築く・・

山頂展望台へスキーを外し歩いて登る。大野さんはスキーを持って歩かれている

我ら銀嶺会9人 おられた女性2人の記念写真を撮ってあげ、写真を撮ってもらう

眼下に見える敦賀湾の杉津付近 船が行き交っている。正面:敦賀半島、右手:日本海、左手:敦賀市の展望、
若狭湾まで見える絶景

海の見えるスキー場からの絶景に見入るメンバーたち

山頂展望台からの戻り道、新雪のついた樹木が美しい

シーサイト・コースから正面谷越えに見える、隣の滋賀県余呉スキー場を遠望する

中級のスーパーコースを四方昌光さんのコーチで滑り降りるメンバー、今シーズン初滑りのIさんが途中転倒し中々降りられない。四方会計は上手に降りられた、随分スキー技術が上達された。右手に滑り、もう一度第4ペアリフトで頂上に登り、昼食時間なのでシーサイトコースを降りる。四方昌光さんのコーチで全員上手く少し傾斜のあるスロープを下りきった

シーサイトコースの曲がり角に、木の芽城塞群図が建っている
1鉢伏城、2観音丸城、3木の芽城、4西光寺丸城

すぐ横に峠茶屋(休み)ラーメン 冬以外は開いているのだろう?

12時になり昼食にスキーセンターに降りる。Iさんが緩いスロープになってから転倒され待っているメンバー

スキーセンター2Fのレストランに入り、会費から1000円の割戻しで好きなものを注文するメンバー

私はいつものカツカレーを食べる

2F中央のテーブルに集まり食事する銀嶺会、缶ビールと妻味は会費より提供

午後3時の集合まで再びいろいろなコースを滑る。山頂から麓まで一気滑りすると楽しい

3時の集合時間になり皆が揃うのを窓際で待つメンバー

スキー靴を脱ぎ、スキー用具を車に積み込む
木の芽城塞群 越前一向一揆 木の芽崩れ の資料はこちらをご覧ください http://homepage2.nifty.com/tsuruga/kinomejyousai1.html
木の芽山地は福井の嶺北、嶺南を分ける嶺であり、源平・南北朝・戦国期の争乱、一向一揆など、各年次にわたる合戦の要害として重要視されてきた。山頂尾根筋には木ノ芽峠城(標高620メートル)・西光寺丸城(標高643メートル)・鉢伏山城(標高762メートル)の三城が所在する。
確認される遺構は戦国期のものである。城の遺構はそれぞれ独自の縄張りをみせており、元亀元年の信長越前侵攻にさいして朝倉氏は鉢伏山城に印牧弥六郎左衛門を入れ、本格的な城砦を造ったと考えられるが(「朝倉始末記」)、
天正元年の織田軍、同三年の一揆勢による防備など入り乱れての攻防のなかに城郭が整備されており、一揆軍篭城のとき、西光寺丸城は本覚寺・西光寺衆徒、木ノ芽峠城は本陣として下間筑後軍、鉢伏山城には専修寺の一統が守備したとある(勝授寺文書)。
木ノ芽峠城砦群は朝倉氏・織田氏・一向一揆勢の三勢力によって築城・調整されてきた城郭で、複雑な様相をみせるが、戦国末期の攻防にともなう峠の陣城として他に例のない貴重な城砦群である。『福井県史通史編』より

頂上リフト(1270m)で全員が上がり、スキーを外しストックを持ち、竹内さんの案内で鉢伏山(760m)山頂展望台へ歩く。入るとすぐに雪に埋もれて案内板が立っていた。
鉢伏城址 木の芽峠から北西約700m、木の芽城塞群の中で最大
元亀元年(1570)朝倉方で築く・・

山頂展望台へスキーを外し歩いて登る。大野さんはスキーを持って歩かれている

我ら銀嶺会9人 おられた女性2人の記念写真を撮ってあげ、写真を撮ってもらう

眼下に見える敦賀湾の杉津付近 船が行き交っている。正面:敦賀半島、右手:日本海、左手:敦賀市の展望、
若狭湾まで見える絶景

海の見えるスキー場からの絶景に見入るメンバーたち

山頂展望台からの戻り道、新雪のついた樹木が美しい

シーサイト・コースから正面谷越えに見える、隣の滋賀県余呉スキー場を遠望する

中級のスーパーコースを四方昌光さんのコーチで滑り降りるメンバー、今シーズン初滑りのIさんが途中転倒し中々降りられない。四方会計は上手に降りられた、随分スキー技術が上達された。右手に滑り、もう一度第4ペアリフトで頂上に登り、昼食時間なのでシーサイトコースを降りる。四方昌光さんのコーチで全員上手く少し傾斜のあるスロープを下りきった

シーサイトコースの曲がり角に、木の芽城塞群図が建っている
1鉢伏城、2観音丸城、3木の芽城、4西光寺丸城

すぐ横に峠茶屋(休み)ラーメン 冬以外は開いているのだろう?

12時になり昼食にスキーセンターに降りる。Iさんが緩いスロープになってから転倒され待っているメンバー

スキーセンター2Fのレストランに入り、会費から1000円の割戻しで好きなものを注文するメンバー

私はいつものカツカレーを食べる

2F中央のテーブルに集まり食事する銀嶺会、缶ビールと妻味は会費より提供

午後3時の集合まで再びいろいろなコースを滑る。山頂から麓まで一気滑りすると楽しい

3時の集合時間になり皆が揃うのを窓際で待つメンバー

スキー靴を脱ぎ、スキー用具を車に積み込む

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